BS21 Lab - 雑情報 - 猪山家年表

18/nov/2013 新規
17/oct/2014 更新

誰得の猪山家年表。
ちょっと膨大なので、間違いが有るかもしれません。

『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』磯田道史著(新潮新書、2003年) ISBN 978-4-10-610005-5 と、
『猪山直之日記 加賀藩御算用者』石崎建治著(時鐘舎新書、北國新聞社出版局、2010年) ISBN 978-4-83-301771-8 の2冊から作成。
食い違い部分(例えば、直之母の死亡年)は判断つかないので、両方を併記。
これ以外の歴史上の重要な出来事の部分は、Wikipedia から引用した。

上記2冊を読む際の補足の年表であり、これ単独では何にも役立たないと思います。

明治5年までは旧暦。明治6年以降は新暦。第一項の西暦年はソートの為で、旧暦部分は11月末あたりから+1補正する必要あり。
西暦年和暦:年出来事コメント:#以降は小生の愚考
1598慶長30420前田利長(としなが)(利家長男):従三位・権中納言に昇叙転任。利家公(藩祖)の隠居で家督相続
1598慶長30818豊臣秀吉:薨去。享年62
1599慶長4閏0303前田利家(藩祖):薨去。享年62
1600慶長50915徳川家康(数え59歳):関ヶ原の戦い
1602慶長7金沢城:天守が落雷によって焼失:以後再建されず
1603慶長80212徳川家康(数え62歳):右大臣、征夷大将軍宣下・源氏長者宣下
1605慶長10猪山清左衛門(猪山家初代):死去※「武士の家計簿」p18
1605慶長100628前田利光(としみつ)(利家四男):後の利常(としつね):加賀藩第2代藩主に
1614慶長190520前田利長(初代藩主):薨去。享年53
1615慶長2005大坂夏の陣
1616元和20417徳川家康:薨去。享年75
1639寛永160423前田光高(みつたか):加賀藩第3代藩主に
1639寛永160620前田利常(2代藩主):小松に隠居
1643寛永20前田光高(3代藩主):金沢城北の丸に東照三所大権現社(現尾崎神社)建立Wikipedia:前藩主の利常公(2代藩主)が「もし天下が改まり徳川の権力が衰えたら(東照宮を)どこへ遷宮するつもりか」と諭したと伝わる
1645正保20405前田光高(3代藩主):急死。享年31(満29歳)
1645正保20613前田綱紀(つなのり)(数え3歳):加賀藩第4代藩主に
1646正保3養智院(真言宗)寺地拝領※「猪山直之日記」p20
1658万治11012前田利常(2代藩主):薨去。享年66
1676延宝4前田綱紀(4代藩主):蓮池亭(れんちてい)造成。後の兼六園の原型
1723享保80506前田吉徳(よしのり)(綱紀3男):加賀藩第5代藩主に:綱紀公(4代藩主)は隠居:大槻伝蔵による財政改革開始
1724享保90509前田綱紀(4代藩主):薨去。享年82
1731享保16猪山市進(いちのしん)(猪山家5代):前田家直参に※「武士の家計簿」p19 #市進の採用は、大槻伝蔵の藩財政改革の一環によるものか
1745延享20612前田吉徳(5代藩主):薨去。享年56
1746延享30702大槻伝蔵:蟄居
1746延享31208前田宗辰(むねとき)(6代藩主):薨去。享年22
1748延享50418大槻伝蔵:越中五箇山に配流
1748延享50626加賀騒動の始まり:宝暦4年(1754年)まで#市進は無事乗り切ったようだが、猪山家が政治から一歩引いた態度なのは、これが遠因かもしれない
1770明和7猪山左内綏之(やすゆき)(猪山家6代):御算用場お雇い※「武士の家計簿」p25
1771明和8綏之:正式採用:切米40俵
1775安永4猪山金蔵信之(藤井平丞4男)(猪山家7代):誕生※「武士の家計簿」p30 #"彦蔵"は猪山家当主が代々受け継ぐ名と思われる
1782天明2天明の大飢饉(天明8年まで)
1782天明2綏之:前藩主の前田重教公(10代藩主)の御次執筆役に※「武士の家計簿」p25
1783天明30706浅間山で大噴火。死者約2万人
1784天明40223筑前国志賀島で金印発見
1786天明608田沼意次:失脚
1786?天明6?綏之:重教公(10代藩主)薨去に伴い、御次執筆役の打切り※「武士の家計簿」p29
1787天明70415徳川家斉:11代将軍に就任
1787天明705天明の打ちこわし(江戸・大坂で米屋が打ち壊された事件)
1787天明706松平定信:老中に就任、寛政の改革
1788天明80130天明の京都大火:皇居炎上、京都の大半が焼失
1789天明90125寛政に改元:グレゴリオ暦1789年2月19日
1791寛政3信之(数え17歳):猪山家へ婿養子※「武士の家計簿」p30、「猪山直之日記」p156
1795寛政5信之(数え21歳):御算用場お雇い
1796?寛政6?猪山益之助文言(あやこと)(信之長男):誕生※「猪山直之日記」p152 由緒書写真内容から逆算
1797寛政7信之(数え23歳):正式採用:切米40俵
1801寛政130205享和に改元:グレゴリオ暦1801年3月19日
1803享和3西永与三八:西永家へ末期養子※「猪山直之日記」p156
1804享和4信之:御預所定役
1804享和40211文化に改元:グレゴリオ暦1804年3月22日
1806文化30304文化の大火(江戸三大大火の一つ)
1808文化5閏06綏之:切米50俵に加増※「武士の家計簿」p29
1811文化80710前田斉泰(13代藩主):誕生直之とは、数えで1つ違いになる
1812文化9猪山弥左衛門直之(信之4男)(猪山家8代):誕生:幼名余四郎※「猪山直之日記」p155
1812文化912益之助(数え17歳?):御算用場見習い出仕※「猪山直之日記」p153
1813文化10益之助(数え18歳?):正式採用※「猪山直之日記」p153
1814文化11増田九兵衛(信之次男):増田家の婿養子へ※「猪山直之日記」p155 #"九兵衛"は増田家当主が代々受け継ぐ名と思われ、よって、この時点ではまだ"九兵衛"名ではなかったと思われる
1815文化12益之助:御勝手方御年寄衆席執筆加人※「猪山直之日記」p153
1817文化14益之助:本役※「猪山直之日記」p155
1818文化150422文政に改元:グレゴリオ暦1818年5月26日
1818文政1益之助:執筆役免除※「猪山直之日記」p155
1818文政112綏之:退職:白銀3枚(=銀129匁)拝領※「武士の家計簿」p29
1821文政409信之(数え47歳):会所棟取役・買手役兼帯※「武士の家計簿」p31
1822文政5益之助(数え27歳?):由緒書提出:由緒書写真に27歳と書かれている※「猪山直之日記」p151 #程無くして死去か?
1822文政5信之(数え48歳):切米50俵に加増※「武士の家計簿」p31
1822文政511前田斉泰(13代藩主):数え12歳で加賀藩主に
1827文政1003信之(数え53歳):御住居向買手方御用ならびに御婚礼方御用主付※「武士の家計簿」p32
1827文政10信之:小判7両拝領御婚礼前に頂いている?
1827文政101015信之:新知70石:溶姫君様御住居付御勘定役この時点では、まだ"金蔵"名
1827文政101127前田斉泰(13代藩主)(数え17歳)と溶姫(数え15歳)の御婚礼
1829文政1207?13?綏之:死去。享年不詳:戒名は浄観院か?※「武士の家計簿」p29 #この後、家督相続と共に、信之が"彦蔵"を襲名したと思われる
1830文政13閏0325直之(数え19歳):日記開始この時点で、信之="彦蔵"になっている ※「猪山直之日記」p11
1830文政13閏0326直之:御算用場見習い出仕※「武士の家計簿」p44、「猪山直之日記」p16 #信之同道とあるので、この時期、信之は金沢に帰国している様子
1830文政130404直之:御収納所
1830文政130412直之:父実家の不幸により忌引き※「猪山直之日記」口絵
1830文政130415直之:忌引き切上げ命令
1830文政1310直之:正式雇い:切米40俵※「武士の家計簿」p44、「猪山直之日記」p16
1830文政1311直之:屋敷拝領願い※「猪山直之日記」p17
1830文政131210天保に改元: グレゴリオ暦1831年1月23日
1832天保312直之:屋敷拝領:67歩※「猪山直之日記」p17
1833天保40713直之(数え22歳):西永お駒(与三八娘)との縁談を藩に申請※「猪山直之日記」p26
1835天保6信之:溶姫君様御住居付御勘定役廃止:金沢へ帰国※「武士の家計簿」p43
1837天保80402徳川家斉(11代将軍):征夷大将軍辞職
1837天保80825直之:御勝手方土蔵に盗賊あり※「猪山直之日記」p28
1837天保80902徳川家慶(12代将軍):征夷大将軍・源氏長者宣下:家斉公(11代将軍)は大御所に
1838天保90303直之(数え27歳):中納言様御次執筆役拝命※「武士の家計簿」p44、「猪山直之日記」p39
1838天保90304直之:挨拶廻り※「猪山直之日記」p42
1839天保100301猪山順太郎(直之長男):誕生※「猪山直之日記」p42
1839天保100307順太郎:お七夜
1839天保100320順太郎:風邪の体
1839天保100322順太郎:与三八より産着
1839天保100325順太郎:死去※「猪山直之日記」p43
1839天保100326順太郎:葬儀:戒名其教童子※「猪山直之日記」p45
1839天保100506直之:武芸の報告『仕事が忙しく、何も習得していない』※「猪山直之日記」p247
1840天保11猪山家:無尽帳(頼母子講の帳簿)開始?:武家18人※「武士の家計簿」p59 #残っている帳簿が天保11年からの物で、頼母子講自体は以前からやってた?
1841天保12竹中久之助(後の邦香?):誕生※「猪山直之日記」p143 から逆算
1841天保1201ジョン万次郎:遭難
1841天保12閏0117猪山お熊(直之長女):誕生※「猪山直之日記」p50, p110
1841天保12閏0119お熊:三日目
1841天保12閏0123お熊:お七夜
1841天保120318お熊:西永家初訪問
1841天保120323順太郎:三回忌※「猪山直之日記」p48
1841天保1204?直之:金沢発足
1841天保120424直之:家来へ難所越え祝い300文※「猪山直之日記」p194
1841天保12直之:江戸からお熊へお守りらしきものを送る※「猪山直之日記」p122
1842天保1305?直之:金沢へ帰国
1842天保1305下旬前田斉泰(13代藩主)(数え32歳):体調不調※「猪山直之日記」p55
1842天保130609前田斉泰(13代藩主):藩医達が診察
1842天保130620直之たち:夜勤開始※「猪山直之日記」p59
1842天保130624小林豊後守:京より到着※「猪山直之日記」p61
1842天保130625小林豊後守:斉泰公の診察
1842天保130708直之(数え31歳):借金調査:家計簿開始※「武士の家計簿」p49、「猪山直之日記」p166
1842天保130717直之:勝手向仕法ニ付、着類并諸道具払物代并与三八様より御合力銀等覚帳(7月17日〜8月10日)※「武士の家計簿」p61
1842天保130802前田斉泰(13代藩主):だいぶ回復※「猪山直之日記」p72
1842天保130806前田斉泰(13代藩主):椅子に座れるまで回復※「猪山直之日記」p73
1842天保130812小林豊後守:加賀見物#「猪山直之日記」p76 では7月だが、8月でないと辻褄が合わないと思う
1842天保130814小林豊後守:加賀見物
1842天保1308猪山家:何とか銀4064匁かき集めて、借金返済に四苦八苦している頃合
1842天保130823小林豊後守:白銀300枚(=銀12900匁=金172両),絹10疋,干海鼠
1842天保130824小林豊後守:登城、内々に金200両#この時の猪山信之・直之親子の年収は金約41両
1842天保130825小林豊後守:帰京※「猪山直之日記」p77
1842天保130926前田斉泰(13代藩主):10歩歩くまで回復※「猪山直之日記」p78
1842天保131207お熊:天然痘※「猪山直之日記」p119
1842天保131223お熊:酒湯
1843天保140105猪山家入用:正月
1843天保140128猪山家入用:正月:鏡直し
1843天保140301猪山家入用:雛
1843天保140301直之:初穂65.42匁配分※「武士の家計簿」p90 #米1石に相当。4月分を前借り支給してもらった?
1843天保140401信之:春賦銀17.15匁
1843天保140406直之:下行13.333石
1843天保140407猪山家入用:天神祭
1843天保140501猪山家入用:節句
1843天保140517猪山家入用:鎮守祭礼
1843天保140601上知令発布
1843天保140601信之:半納10石:実際は前借り支給※「武士の家計簿」p100
1843天保140701猪山家入用:半納(年貢)?#武家が年貢を祝う?6月1日の間違いか?
1843天保140703信之:初穂210匁配分※「武士の家計簿」p90 #米3石に相当
1843天保140703猪山家入用:すす払
1843天保140707猪山家入用:七夕
1843天保140709猪山家入用:盆
1843天保140710猪山家入用:盆:切籠13ヶ(1ヶ16文)※「武士の家計簿」p99
1843天保140714猪山家入用:盆:切籠2ヶ
1843天保140715猪山家入用:盆:極楽寺へ参拝
1843天保140715直之:盆拝領金3両3分
1843天保1408信之(数え69歳):お盆前に脇差を150匁で売却※「武士の家計簿」p73, p100
1843天保140815猪山家入用:月見
1843天保140829信之:秋賦銀17.15匁
1843天保140902吉崎小三郎(信之3男):祭祝い※「猪山直之日記」p129
1843天保140903西永家と竹中家:祭祝い※「猪山直之日記」p130
1843天保140909猪山家入用:節句
1843天保140916猪山家入用:神明宮祭礼※「猪山直之日記」p128
1843天保140925吉崎捨吉:袴着:裃代金100疋(=金1分)(信之)※「猪山直之日記」p130
1843天保140929猪山家入用:神送り
1843天保14閏0918信之:初穂66匁配分※「武士の家計簿」p90
1843天保141002信之:本勘12石#「武士の家計簿」p98 の表8では、10月収入は66匁のみ(米1石相当)になっているので、前借り支給してもらったと思われる
1843天保141026猪山家入用:亥の子
1843天保141102直之:銀100匁支給:20匁を返済※「武士の家計簿」p101 #米1.5石に相当。前借り支給してもらった?
1843天保141102直之:初穂67匁配分13匁しか残らない計算 ※「武士の家計簿」p90
1843天保141103お熊:髪置き:絵鯛※「武士の家計簿」p101、「猪山直之日記」p169
1843天保141201直之:下行6.667石
1843天保141203猪山家入用:すす払い
1843天保141214直之:誕星祝※「武士の家計簿」p80
1843天保141215猪山家入用:節文#節分?
1843天保141219お駒(直之妻):着帯:戌の日:隠婆へ銀3匁※「武士の家計簿」p108
1843天保141223猪山家入用:餅搗き
1843天保141224猪山家入用:正月準備
1843天保141227直之:暮拝領金4両1分:1両を銭6400文に両替※「武士の家計簿」p70
1843天保141227直之:御鎮守御貸渡銀300匁:借入れして即返済結局、借金を先延ばししただけ ※「武士の家計簿」p70
1844天保150102和田七之助(直之いとこ?)自害:理由不明:猪山家も3日間服喪※「猪山直之日記」p92
1844天保150110直之:正月祝い※「猪山直之日記」p124
1844天保150111直之:金沢で正月祝い※「猪山直之日記」p123
1844天保150413猪山左内成之(直之次男)(猪山家9代):誕生:幼名直吉:隠婆銀15匁、医者13匁、針立5匁※「武士の家計簿」p111、「猪山直之日記」p113
1844天保150415成之:三日目
1844天保150419成之:お七夜
1844天保150515?17?成之:神明宮参詣、お宮参り、西永家初訪問※「武士の家計簿」p115 では15日、「猪山直之日記」p117では17日
1844天保150516成之:宴会※「猪山直之日記」p117
1844天保150816成之:箸初(はしぞめ)※「武士の家計簿」p117、「猪山直之日記」p117
1844天保150926成之:出生祝いへの返礼※「猪山直之日記」p117
1844天保151202弘化に改元: グレゴリオ暦1845年1月9日
1845弘化2信之(数え71歳):知行100石に加増※「武士の家計簿」p140
1845弘化20101直之:金沢で正月祝い※「猪山直之日記」p97
1845弘化20204直之:斉泰公の病気本復祝い:拝領金(額は不明)※「猪山直之日記」p208
1845弘化20327直之:金沢発足※「猪山直之日記」p79
1845弘化20411直之:浦和発⇒江戸着
1845?弘化2?0512猪山家:浄観院17回忌浄観院は綏之の事か? ※「猪山直之日記」p132 #直之は金沢に居ないはずだが…
1845弘化21118成之:髪置き※「武士の家計簿」p117。「猪山直之日記」p172 では弘化3年10月26日と記載。
1846弘化30101直之:江戸で正月祝い※「猪山直之日記」p95
1846弘化30114直之:帰りの御供免除の願い※「猪山直之日記」p82 #翌月には病欠しているので、この時点ですでに体調が良くなかったのかもしれない
1846弘化30126仁孝天皇(第120代天皇):崩御
1846弘化30203直之:顔に出来物※「猪山直之日記」p85
1846弘化30205-08直之:病欠
1846弘化30213孝明天皇(仁孝天皇第四皇子):第121代天皇に即位
1846弘化30319直之:宝生大夫へ入門:銀3匁5分※「猪山直之日記」p196
1846弘化3直之:金沢へ帰国
1846弘化3閏0510和宮親子内親王(仁孝天皇第八皇女):誕生
1846弘化31026成之:髪置き※「猪山直之日記」p172 #直之帰国後、改めて祝ったのか?
1847弘化40105直之:近藤氏らの餞別会※「猪山直之日記」p192
1847弘化40112直之:金岩氏の餞別会
1847弘化40120前田斉泰(13代藩主):金沢発足:直之は金沢残留
1847弘化40711直之(数え36歳):加増10俵:切米50俵に※「猪山直之日記」p175
1847弘化40716直之:お礼持参※「猪山直之日記」p186
1847弘化40719直之:江戸詰の同僚にお礼を発送※「猪山直之日記」p186 #この記述より直之は金沢残留と判断
1847弘化40814直之:前回の帰国の際に藩から金を借用と日記に記載?※「猪山直之日記」p199
1847弘化41111成之(数え4歳):袴着※「武士の家計簿」p118
1848弘化50228嘉永に改元:グレゴリオ暦1848年4月1日
1848 嘉永1前田斉泰(13代藩主):金沢に帰国
1848 嘉永108直之:藩への返済猶予願い※「猪山直之日記」p219
1848 嘉永110直之:屋敷追加拝領:120歩+請地26歩※「猪山直之日記」p23
1848 嘉永1西永三太郎(与三八長男?):死去?
1848 嘉永111お熊(数え8歳):西永家への養女願い※「猪山直之日記」p222
1848 嘉永112お熊:養女願いのお許し
1849嘉永20101直之:金沢で新年祝い
1849嘉永20107直之:口祝い
1849嘉永203直之:家の修理(追加拝領部分か?)で藩に借金願い※「猪山直之日記」p221
1849嘉永204直之:江戸着
1849嘉永20427竹中権大夫(直之姉の夫):慈光院で気絶※「猪山直之日記」p139
1849嘉永2閏0404竹中権大夫:病死※「猪山直之日記」p139
1849嘉永2閏0428竹中久之助(数え9歳):家督相続願い※「猪山直之日記」p141
1849嘉永2閏0429信之:病気に※「猪山直之日記」p229
1849嘉永20505信之:死去。享年75:葬儀費用49日までで銀809.5匁※「猪山直之日記」p230。「武士の家計簿」p129 では4月と記載。
1849嘉永20506信之:葬礼取決め
1849嘉永20507信之:葬式
1849嘉永20510信之:中陰、逮夜
1849嘉永20511信之:法要
1849嘉永20513直之:江戸に信之死去の連絡届く※「猪山直之日記」p230 #わずか8日間で届いているので速達便を使ったと思われる
1849嘉永20522直之:江戸に葬儀の連絡届く※「猪山直之日記」p231 #葬式後に出したなら14日間掛かっているので、こちらは並便と思われる
1849嘉永205?直之祖母死去:葬儀代銀751.86匁:西永家が500匁出す※「武士の家計簿」p129 では5月と記載
1849嘉永20913坪内氏死去※「猪山直之日記」p87
1849嘉永21211直之(数え38歳):江戸で家督相続:切米50俵から知行100石に※「猪山直之日記」p234 #この時点で、"彦蔵"を襲名か?
1849嘉永21214直之:拝領物※「猪山直之日記」p202
1850嘉永30101直之:江戸で新年祝い
1850嘉永30111直之:拝領物※「猪山直之日記」p202
1850嘉永30113直之:拝領物:鯛1枚
1850嘉永30119直之:拝領物:鏡餅
1850嘉永30122直之:拝領物:姫様登城
1850嘉永30201直之:拝領物:姫様より※「猪山直之日記」p204
1850嘉永30407直之:拝領物:徳川家慶公(12代将軍)、加賀藩邸の御通り抜け
1850嘉永30409直之:拝領物:出立前
1850嘉永30411直之:朝5つ半(午前9時)に出立 ⇒ 大宮着:小将(小姓)が金30両紛失※「猪山直之日記」p84
1850嘉永30425直之:金沢着:極楽寺参詣※「猪山直之日記」p103
1850嘉永30810西永与三八:竹中久之助へ合力※「猪山直之日記」p144
1850嘉永31017猪山家:竹中久之助へ合力※「猪山直之日記」p144
1851嘉永4直之(数え40歳):知行130石に加増※「武士の家計簿」p140
1851嘉永402島津斉彬:薩摩藩第11代藩主に就任
1851嘉永40202ジョン万次郎:琉球に上陸
1851嘉永40229前田斉泰(13代藩主):打木浜で大砲調練※「猪山直之日記」p235
1851嘉永403順太郎:十三回忌※「猪山直之日記」p51
1851嘉永40313直之:斉泰公の参勤交代の見送り:金沢に残る※「猪山直之日記」p38
1851嘉永405猪山お辰(直之次女):誕生※「猪山直之日記」p224
1852嘉永50226成之(満7歳10ヶ月):文箱+硯+筆+墨+紙:銀18匁※「武士の家計簿」p121
1852嘉永50228成之:山口金作方へ手習い稽古:赤飯
1852嘉永5前田斉泰(13代藩主):金沢に帰国
1852嘉永505?成之:眼医者#ほぼ同時期に親子揃って眼病になっている。もしかすると成之ではなく、直之の眼病と取り違えている?
1852?嘉永5?06直之母?:死去:葬儀代銀647.82匁安政6年の間違いか? ※「武士の家計簿」p129
1852嘉永506-07直之:病による静養服喪とは書かれていない ※「猪山直之日記」p87
1852嘉永507直之:眼病:20日ほど欠勤※「猪山直之日記」p272
1852嘉永51113成之:天然痘:闘病18日間:銭2625文※「武士の家計簿」p123
1853嘉永60404前田斉泰(13代藩主):能登巡見発足※「猪山直之日記」p237
1853嘉永60425前田斉泰(13代藩主):能登巡見帰着
1853嘉永606直之:謹慎処分※「猪山直之日記」p105
1853嘉永60603ペリー来航
1853嘉永60622徳川家慶(12代将軍):薨去
1853嘉永61010直之:砲術入門※「猪山直之日記」p244
1853嘉永61011直之:鉄砲借用の願い
1853嘉永61022直之:弓術・槍術入門
1853嘉永61023徳川家定(13代将軍):第13代将軍に就任
1853嘉永61025直之:武芸の修練の報告
1853嘉永61231直之:家来給銀の件の打ち合わせ※「猪山直之日記」p194 #打ち合わせ場所は不明。金沢か、それとも江戸行きの途上か?
1854嘉永701?直之:江戸へ#前年12月かもしれない
1854嘉永70116ペリー再来航
1854嘉永70119?直之:金沢へ手紙#1少なくともこの時点で江戸に着いていた
1854嘉永70123直之(数え43歳):金沢へ手紙#219日の手紙の続報 ※「猪山直之日記」p250
1854嘉永70303日米和親条約調印
1854嘉永703?成之(満9歳11ヶ月):馬渕方に剣術入門※「武士の家計簿」p125
1854嘉永704直之:金沢着
1854嘉永704?直之:馬渕方にあわてて挨拶
1854嘉永707竹中久之助:家督相続※「猪山直之日記」p144
1854嘉永71016成之(数え11歳):角入(すみいれ):試験は不合格※「武士の家計簿」p125、「猪山直之日記」p268
1854嘉永71127安政に改元:グレゴリオ暦1855年1月15日
1855安政2安達幸之助(加賀藩足軽):江戸へ:後に大村益次郎の配下に※「武士の家計簿」p151
1855安政2佐賀藩:田中久重(からくり儀右衛門)ら:模型機関車(アルコール燃料)作成
1855安政201増田九兵衛:体調不調
1855安政20419増田九兵衛:死去※「猪山直之日記」p91, p234 #この後、息子の九左衛門が家督相続し、"九兵衛"を襲名したと思われる
1855安政20423直之:増田九兵衛の忌引き切り上げ命令
1855安政20703薩摩藩:試作蒸気機関の公開試運転
1855安政20823薩摩藩:試作蒸気船(雲行丸)完成
1855安政21111成之:試験合格:赤飯※「武士の家計簿」p126
1855安政21126成之(満11歳7ヶ月):御算用場見習い出仕※「猪山直之日記」p148, p234, p268
1857安政40116成之(数え14歳、満12歳9ヶ月):前髪(執り):銀52匁+銭1600文※「武士の家計簿」p126
1857安政4直之:江戸へ
1857安政40619成之(満13歳3ヶ月):正式雇い:切米40俵:直之は江戸詰めの最中※「武士の家計簿」p132、「猪山直之日記」p234
1857安政40702成之:初任給3.229石
1858安政50619日米修好通商条約
1858安政50706徳川家定(13代将軍):薨去。享年35
1858安政50716島津斉彬:薨去。享年50
1858安政50808戊午の密勅
1858安政50905安政の大獄
1858安政51025徳川家茂(14代将軍):第14代将軍に就任
1859安政60602横浜港開港
1859?安政6?直之母?:死去嘉永5年の間違いか? ※「猪山直之日記」p234
1860安政70303桜田門外の変
1860安政70318万延に改元:グレゴリオ暦1860年4月8日
1860万延11018孝明天皇:和宮降嫁を勅許
1861万延20203ロシア軍艦対馬占領事件
1861万延20219文久に改元:グレゴリオ暦1861年3月29日
1861 文久10419和宮親子内親王:内親王宣下
1861 文久10829猪山家で祝い:増田お政(九兵衛次女)訪問※「武士の家計簿」p134
1861 文久11020和宮親子内親王:京を出立
1861 文久111直之:和宮降嫁時の加賀藩上屋敷前お通り時の警護?※「猪山直之日記」p264 #この期間だけ江戸にいたのか?それとも人手が減った金沢城の警護か?
1861 文久11115和宮親子内親王:江戸着
1861 文久11211和宮親子内親王:江戸城に入城
1861 文久11213成之(数え18歳):増田お政と縁組(結納)※「猪山直之日記」p234 #この時の増田九兵衛は家督相続したお政の兄と思われる
1862文久20116お政:猪山家へ年頭挨拶
1862文久201お政:猪山家へ訪問
1862文久202お政:猪山家へ宿泊
1862文久20211徳川家茂(14代将軍):仁孝天皇皇女で孝明天皇の皇妹和宮と婚礼
1862文久20414お政:猪山家へ引き移り※「武士の家計簿」p138
1862文久20421成之とお政:表向祝
1862文久20821生麦事件
1862文久21219直之:拝領物:御納戸※「猪山直之日記」p205
1863文久30213徳川家茂(14代将軍):江戸出立
1863文久30219徳川家茂(14代将軍):二条城に入城
1863文久303攘夷勅命
1863文久30307徳川家茂(14代将軍):参内
1863文久30510下関事件
1863文久306前田斉泰(13代藩主):旗本備えの陣押調練の実施※「武士の家計簿」p143
1863文久30616徳川家茂(14代将軍):江戸着
1863文久30702-04薩英戦争
1863文久30818八月十八日の政変
1864文久40220元治に改元:グレゴリオ暦1864年3月27日
1864 元治10605池田屋事件
1864 元治10719禁門(蛤御門)の変
1864 元治10802第1次長州征伐
1864 元治10805-07四国艦隊下関砲撃事件
1864 元治109成之(数え21歳):御守殿様御用人衆執筆役加人※「武士の家計簿」p144
1865元治20407慶応に改元:グレゴリオ暦1865年5月1日
1865 慶応1閏0516徳川家茂(14代将軍):江戸を出発
1865 慶応1閏0522徳川家茂(14代将軍):上洛
1865 慶応1閏0525徳川家茂(14代将軍):大坂城入城
1866慶応2五稜郭完成
1866慶応20121薩長同盟
1866慶応20404前田慶寧(よしやす)(14代藩主):加賀藩主へ
1866慶応20607第2次長州征伐開始
1866慶応20720徳川家茂(14代将軍):大阪で薨去。享年21(満20歳没)
1866慶応210直之:慶寧公(14代藩主)のお供で京都入り※「猪山直之日記」p269
1866慶応211直之:金沢へ帰国
1866慶応21205徳川慶喜(15代将軍):将軍職就任
1866慶応21225孝明天皇(第121代天皇):崩御
1867慶応3直之(数え56歳):斉泰公(13代藩主)・慶寧公(14代藩主)・利嗣様(慶寧長男)3人の御次御用を兼任※「武士の家計簿」p160、「猪山直之日記」p273 では1866年(慶応2)の記述
1867慶応30109明治天皇(満14歳):践祚の儀
1867慶応302成之(数え24歳):病気(仮病)で溶姫様執筆役免除願い※「猪山直之日記」p269
1867慶応302直之:京都へ※「猪山直之日記」p270
1867慶応304成之:京都に派遣:諸事御用、会所御用※「武士の家計簿」p147、「猪山直之日記」p269
1867慶応306直之:金沢へ帰国※「猪山直之日記」p270
1867慶応30710猪山綱太郎(成之長男):誕生※「武士の家計簿」p161
1867慶応31014徳川慶喜(15代将軍):大政奉還
1867慶応31115坂本龍馬:暗殺。享年33
1867慶応31209王政復古の大号令
1867慶応31209前田慶寧(14代藩主):上洛※「猪山直之日記」p270
1867慶応31212前田慶寧(14代藩主)+成之:京都引き揚げ※「武士の家計簿」p149
1867慶応312前田慶寧(14代藩主)+成之:金沢へ帰国
1868慶応401前田慶寧(14代藩主):趣意書※「猪山直之日記」p288
1868慶応401猪山成之:半隊司令役:金20両※「武士の家計簿」p149、「猪山直之日記」p270
1868慶応40103-06鳥羽・伏見の戦い
1868慶応40107慶喜追討令
1868慶応40122大村益次郎:上洛
1868慶応402前田慶寧(14代藩主):趣意書回収※「猪山直之日記」p288
1868慶応40212徳川慶喜(15代将軍):上野の寛永寺に謹慎
1868慶応40222大村益次郎:軍防事務局判事加勢
1868慶応40313神仏分離令
1868慶応40314五箇条の御誓文
1868慶応40411江戸城無血開城
1868慶応40421大村益次郎:軍防事務局判事
1868慶応4閏04大村益次郎:大阪から江戸へ
1868慶応40501溶姫(斉泰正室):逝去。享年56
1868慶応40515上野戦争
1868慶応407江戸を東京に改称
1868慶応407猪山成之(数え25歳):利嗣様(慶寧長男)の御供小払で上京:ほどなくして新政府の軍務官会計方に※「武士の家計簿」p150、「猪山直之日記」p271
1868慶応40908明治に改元:グレゴリオ暦1868年10月23日
1868明治10920東京行幸:9月20日京都発〜10月12日東京着
1868明治11013東京奠都
1868明治111京都還幸
1869明治2蝦夷地から北海道へ改名:開拓使設置
1869明治2猪山直之(数え58歳):藩主家族とともに金沢発足、東京へ※「猪山直之日記」p289
1869明治2初め頃猪山成之:軍艦「浅間」の修理※「武士の家計簿」p153、「猪山直之日記」p275
1869明治20218猪山鉄次郎(成之次男):誕生※「武士の家計簿」p161
1869明治2032回目の東京行幸
1869明治203猪山直之:職制改正で三等上士※「武士の家計簿」p160
1869明治20317猪山成之(数え26歳):新政府軍務官の会計棟取※「武士の家計簿」p156
1869明治20518戊辰戦争終了
1869明治20617版籍奉還
1869明治206前田慶寧(14代藩主):金沢藩知事
1869明治207猪山成之:兵部省:会計司出仕※「武士の家計簿」p156
1869明治20708大村益次郎:兵部大輔に就任
1869明治20904大村益次郎:京にて遭難
1869明治210猪山直之(数え58歳):華族前田家の御家令席主簿※「武士の家計簿」p160
1869明治21105大村益次郎:死去。享年46
1869明治212猪山成之:会計少佑※「武士の家計簿」p156
1869明治212?猪山直之:免職願い※「武士の家計簿」p160
1869?明治2?猪山直之:知行180石に加増※「武士の家計簿」p140
1870明治301猪山直之:金沢へ帰国※「武士の家計簿」p161
1870明治309猪山直之・成之:由緒并一類附を提出※「武士の家計簿」p16
1870明治311猪山成之:海軍掛に※「武士の家計簿」p156
1871明治4戸籍法制定
1871明治40418平民の乗馬許可
1871明治40420前島密:郵便制度創設
1871明治40510新貨条例
1871明治40714廃藩置県
1871明治40729日清修好条規締結
1871明治408婚姻の自由※「武士の家計簿」p166
1871明治40811前田慶寧(14代藩主):金沢から東京へ※「武士の家計簿」p162
1871明治409内田政風(薩摩藩士):金沢県大参事
1871明治41112岩倉使節団派遣
1871明治41218士族:農工商の営み許可
1872明治5田畑永代売買禁止令廃止
1872明治5竹中邦香:司法省八等出士:大阪へ移住※「武士の家計簿」p170
1872明治50426猪山直之:犀川の河原相撲見物※「武士の家計簿」p163
1872明治505猪山家:12〜13石の農地の話※「武士の家計簿」p179
1872明治50511沢崎お琴(お辰の義妹):太田屋へ縁談の話※「武士の家計簿」p166
1872明治508猪山家:東京に家を買う決断※「武士の家計簿」p183
1872明治50802学制公布
1872明治50912日本初の鉄道開通:新橋駅から横浜駅(現桜木町駅)間
1872明治511猪山成之(数え29歳):芝栄町3番地の家(300坪)取得:地代110両※「武士の家計簿」p184, p205
1872明治51202太陽暦導入:明治5年12月3日=明治6年1月1日
これ以降は新暦
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1873明治6金沢城:全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方により存城処分となり、陸軍省の財産となる
1873明治601猪山家:地租改正で地券発行:147坪※「武士の家計簿」p184
1873明治60110徴兵令
1873明治60224猪山直之:隠居。成之に家督相続※「武士の家計簿」p190
1873明治603猪山成之:海軍省七等出士※「武士の家計簿」p197
1873明治60328猪山綱太郎:小学校入学式:赤飯※「武士の家計簿」p210
1873明治60728地租改正
1873明治61023明治六年政変:西郷隆盛・板垣退助等が下野
1873明治611猪山成之:従六位に叙任※「武士の家計簿」p197
1873明治612家禄奉還の布告※「武士の家計簿」p199
1873明治612猪山成之:「位記」発給※「武士の家計簿」p198
1873明治612猪山直之:東京の前田家へ上京して挨拶に?※「武士の家計簿」p198
1874明治7地租改正条例布告
1874明治7民撰議院設立建白書
1874明治7神仏分離により、金沢城内の東照三所大権現社を尾崎神社に改称
1874明治7猪山成之:隣接地取得:267坪:103円※「武士の家計簿」p205
1874明治701岩倉具視暗殺未遂事件
1874明治70201佐賀の乱
1874明治703猪山家:金沢持家田地:高24石:取得561.25円:年貸56円※「武士の家計簿」p205
1874明治70506台湾出兵
1874明治70507兼六園:一般公開開始
1874明治70522前田慶寧(14代藩主):薨去。享年45
1874明治71001猪山家:最後の家禄:家禄135円の6年分※「武士の家計簿」p200
1875明治8千島樺太交換条約
1875明治8金沢城:陸軍歩兵第7連隊が金沢城址に置かれた
1875明治8竹中邦香:三井組入社※「武士の家計簿」p170
1875明治8猪山家:仏製の西洋時計:約5円※「武士の家計簿」p195
1875明治80625貨幣条例
1875明治808猪山家:金沢持家:233坪:取得306.50円:年貸48円:忠告社集会所※「武士の家計簿」p205
1875明治81015猪山直之:家禄奉還:日記終了※「猪山直之日記」p291 #最後の家禄支給から1年以上経過している?
1876明治90227日朝修好条規(江華条約)
1876明治90308廃刀令
1876明治90805金禄公債証書発行条例発布(秩禄処分)
1876明治91024神風連の乱
1876明治91027秋月の乱
1876明治91028萩の乱
1877明治1002西南戦争
1877明治100821第1回内国勧業博覧会開催(11月30日まで)
1877明治100902和宮親子内親王:薨去
1878明治11家禄支給打切り:8年分※「武士の家計簿」p207
1878明治11竹中邦香:米商会社の頭取※「武士の家計簿」p170
1878明治11猪山綱太郎:東京の学校へ※「武士の家計簿」p211
1878明治11尾崎神社(旧東照宮):金沢城が陸軍省用地となったため、現在地に移築※「猪山直之日記」p33
1878明治110414猪山直之:死去。満66歳前後:葬儀代39.85円※「武士の家計簿」p129、「猪山直之日記」p291
1878明治110514大久保利通:紀尾井坂で島田一郎ら6名により暗殺。享年49#旧加賀藩藩士への監視強まるか
1879明治1203沖縄県編入
1879明治1204猪山家:直之の一周忌
1879明治1205猪山家:東京へ移住:家計簿終了※「武士の家計簿」p213 #前年の大久保利通卿暗殺をうけ、新政府への恭順を示すために家族全員を呼び寄せたのかもしれない
1879明治120831大正天皇:明宮嘉仁親王(大正天皇)誕生
1879?明治12?猪山兵助(成之3男):誕生※「武士の家計簿」p214 から逆算
1880明治13刑法制定
1881明治14国会開設の詔勅
1881明治14明治十四年の政変
1881明治14金沢城:火災で石川門と三十間長屋と鶴丸倉庫を残して焼失
1882明治15刑法施行
1882明治150104軍人勅諭
1882明治150723壬午事変
1883明治161120天璋院(篤姫):逝去。享年49
1884明治170116前田斉泰(13代藩主):薨去。享年74
1884明治170707華族令施行
1885明治18天津条約
1885明治1812内閣制度発足
1886明治19猪山お政(成之妻):病死※「武士の家計簿」p139
1889明治22市制・町村制の施行
1889明治220211大日本帝国憲法公布
1889明治220701東海道本線:神戸駅まで全通Wikipedia:所要時間20時間強。1909年(明治42年)には新橋駅-神戸駅間が12時間50分にまで短縮
1889?明治22?猪山成之(45歳前後):主計大監:東大の明治雑誌コレクションの写真を撮った頃※「武士の家計簿」p118
1890明治23第1回衆議院総選挙
1890明治23第1回帝国議会召集
1890明治23猪山綱太郎と沢崎寛猛(お辰長男):海軍兵学校(17期)卒※「武士の家計簿」p214、「猪山直之日記」p294
1890明治23府県制・郡制の執行
1890明治231030教育ニ関スル勅語(教育勅語)
1891明治240511大津事件:ニコライ皇太子(後のニコライ2世)遭難。電報で明治天皇に報告
1891明治240512大津事件:明治天皇、朝に新橋を出発し、夜には京都入り四半世紀前の東京行幸では約3週間かかっていた
1893明治26猪山成之(49歳前後):呉鎮守府会計監督部長にて退役※「武士の家計簿」p213 #隠居する様な年齢には見えないので、退役後、何らかの職についていたと思われる
1894明治2703甲午農民戦争
1894明治270716日英通商航海条約
1894明治270725日清戦争勃発 (明治28年11月30日まで)
1895明治280417下関条約
1895明治280423三国干渉
1896明治290422竹中邦香:死去。享年55※「武士の家計簿」p170
1896明治290427民法制定
1896明治290615明治三陸地震:死者・行方不明者21,959人
1898明治31金沢城:陸軍第9師団司令部が金沢城址に置かれ、第二次世界大戦が終わるまで存続
1898明治310716民法施行
1900明治33義和団の乱(義和団事件)
1901明治34官営八幡製鉄所操業開始
1901明治34足尾銅山鉱毒事件
1901明治340429昭和天皇:迪宮裕仁親王(昭和天皇)誕生
1902明治35猪山兵助(成之3男):海軍兵学校(30期)卒※「武士の家計簿」p214
1902明治3501日英同盟
1904明治37猪山兵助(25歳):自殺※「武士の家計簿」p214
1904明治370208日露戦争勃発
1905明治380527-28日本海海戦
1905明治380905ポーツマス講和条約
1910明治430525大逆事件(幸徳事件)
1910明治430829韓国併合
1911明治44不平等条約撤廃
1912明治450729明治天皇:崩御
1912明治450730大正に改元
1914大正302シ−メンス事件:沢崎寛猛収賄容疑※「武士の家計簿」p214
1920大正90706猪山成之:死去。享年77※「武士の家計簿」p216


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